北朝鮮やイランでの核開発が話題になり、日本の国会議員の中でも、一部の過激な議員から核保有の可能性の話題が出ているそうだ。最近、そういうきな臭い話題が増えてきた。自衛隊の在り方を論ずるのは結構なことだが、戦争で唯一の被爆国である日本が率先して長崎を最後の被爆地にする働きかけをしてほしいものだ。
そもそも、どんな綺麗事を並べても人が人を殺す行為に代わりはない。国家という御旗を盾にして人を殺しているだけだ。核だけでなく、すべての戦争がなくなることが大事なのだ。だから、核拡散防止条約なんてすでに核保有している大国のエゴであり、北朝鮮やイランからすれば、お前たちは持っているじゃないかとなるわけだ。持たなければやられるという、冷戦時代に生まれた疑心暗鬼による軍拡競争を止められるのは、日本だけではないかと思うときがある。
日本人ほど戦争が嫌いで、戦争をしたい、核を持ちたいと思っていない国民は世界中で唯一無二の存在ではないだろうか。これこそが、日本人が世界に胸を張って誇れることだと思う。核を持たないからこそ核を持たない働きかけができるはずだ。アメリカの核の傘に守られているのは事実だが、そう言ってしまえば身も蓋もない。何年かかってもいいから地道に働きかけることが日本の役割ではなかろうか。否定の話なんて簡単にできるからこそ地道に努力することが大事なんだと思うのだが。
何となく、そんなことが頭に浮かんでブログに記事を掲載した。
私が、戦争の悲惨さを実感した1本の映画がある。中学の頃にテレビで見たのが初めてだ。ジョニーは戦場へ行ったという1971年のアメリカ映画だ。第1次大戦当時の話である。ある若い兵士が戦争で手足をなくし、目も見えず、耳も聞こえない肉の塊になった青年がベッドに横たわり、生きる望みもなく死ぬことも出来ない戦争の悲惨さを訴える作品だった。
映画のストーリーはこんな感じだ。あえて結末まで書くので、未見の人は、ご注意を。
第1次大戦にアメリカが参戦。コロラド州に住む青年ジョニー(ティモシー・ボトムズ)は、ヨーロッパの戦場へと出征していった。戦場では、砲弾が飛び交い、轟音とともに大地が吹き飛ぶ。ジョニーは、戦場で砲弾の爆発で大怪我をし、陸軍病院へ運ばれる。手足は吹き飛び、顔は額のすぐ下から無くなり、残されたのは鼓動する心臓が収まる胴体と延髄、性器のみ。もはや、肉の塊となった彼は、「姓名不詳重傷兵第407号」として、「死者と同じ意識も無い彼から学ぶため」として軍医長が研究のため、人目につかない倉庫に運び込まれた。
しかし、彼の意識は死んでいなかった。真っ暗闇の中で意識を取り戻すが、彼には何故ここにいるのかも理解できなかった。そんな状態の中、ジョニーの意識の中で過去の記憶が駆け巡った。
貧しかった少年時代に亡くなった父の記憶。勤め先のパン工場はの熱気。仲間と踊ったダンス。戦争に出生する前に彼女と過ごした夜のこと。そんな記憶と交互しながら、看護婦が彼の世話をしてくれていることに気がつく。
やがて、彼は自分の手足が無くなり、顔に目も鼻も口も耳も無くなった事実に気づく。絶望の中、死ぬこともできない。
そんなある日、暖かな日差しの感触と看護婦が生けてくれた一輪のバラの香りを感じる。そんな彼のことを世話する彼女は、彼のために涙を流していた。やがてクリスマスの日、看護婦はジョニーの胸に文字を書いた。M・E・R・・・、メリークリスマス。
ジョニーは、父に教えられたモールス信号のことを思い出し、頭を枕にたたきつけることを思いつく。これで、外の世界に自分の意識を伝えようとしたのだ。それを見た看護婦は軍医を呼んだ。呼ばれた将校は<407号>の額にモールス信号を送った。「君は何を望むのか?」ジョニーは答えた。「外に出たい。ぼくを皆に見せてくれ。それができないなら殺して欲しい。」将校は愕然とし、この事実について一切の他言を禁じた。
皆が去ったあと、1人残った看護婦は、殺してくれと訴えつづける彼の肺に空気を送り込む管を閉じた。しかし、戻ってきた上官がこれを止め、看護婦を追いだしてしまった。倉庫の窓は閉ざされ、黒いカーテンが閉じられ、暗闇にジョニーだけが残された。
ぼくはこれ以上このまま生きていたくない。SOS、助けて、SOS・・・
心の中の叫びは誰にも届かず、いつまでも彼の中だけでひびき続けた。
監督、原作、脚本:ダルトン・トランボ
製作:ブルース・キャンベル
撮影:ジュールス・ブレンナー
編集:ミリー・ムーア
キャスト:ティモシー・ボトムズ(ジョニー)、キャシー・フィールズ、ドナルド・サザーランド、ジェイソン・ロバーズ、マーシャ・ハント、ダイアン・ヴァーシ、エドワード・フランツ
この映画を観た時、あまりにも残酷な話に大きなショックを受けた。それまでは、戦争映画は娯楽映画のひとつぐらいにしか思っていなかったから、戦争が生む悲劇を実感したことはなかった。もしも、自分がこのジョニーの立場になったらどうだろう。耐えて生き続けられるだろうか。戦争が生む本当の悲劇が痛いぐらい伝わってきた。
今でも戦争映画も観るし、人が死ぬ映画なんていくらでもあるが、それはあくまでフィクションだから見れるのだ。要するに作り話だから安心して映画を楽しんでいる。でも、その時はまだ中学生で物事の区別をする人生の経験も浅い頃だったので、そういう娯楽映画を楽しんでいる自分に嫌悪感を感じるほどの衝撃があった。
映画は楽しいほうが良いに決まっている。でも、こういう何か大事なことを教えてくれる映画も長い人生では必要だ。本も音楽も同じだ。
このきな臭い時代だからこそ、見直しても良い映画だと思う。
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