2010年2月28日日曜日

海辺の家



もうすぐ死ぬって分からないと何をしたいのかは見えないのかな。ありがちだけど、そうかもしれない。
余命3ヶ月って宣告されて何をするんだろうか?
想像できない。
死への不安は誰しも持つものかと思うが、誰もが時間は永遠にあるかのごとく毎日を暮らしている。
だから、普段は何が大事で何が幸せかなんてよく分かっていない気がする。
ありがちな話だが、そうだと思う。

この映画の主人公のケビン・クラインの場合は、家を建てることであった。
どうも見ていると、出来上がった家自体は、特に重要じゃなく家を息子や愛する人たちと建てたことが生きていた証でもあり、愛する人たちに残した大事な何かになっていた。
これも、結果としてそうなっただけで、主人公が最初から分かっていたわけではないように思えた。
想像ばかりだけど、死ぬ前に何かしなけりゃと思った時、何がいいかというのはなく、単純に息子と家を建てることしか頭に浮かばなかったんじゃないだろうか。
結果オーライではないけど、家を建てたことで彼も彼の家族も救われる。
彼は死ぬが、息子との蟠りも解け、彼の思いは息子に託され、家族の思いが形として家となった。
そういうものがラストで俯瞰から映された家の映像に込められていたと思う。

さて、ありがちな題材かとは思うが、自分だったらとやはり考えさせられる映画だった。

ちなみに気になったのは隣人の親子。
ちょっと映画の主題から考えるとエッチ過ぎないか?
でも、映画にはしっくり馴染んでいたな。
これがこの映画の一番すごいとこかもしれない。


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