2009年8月24日月曜日

ガンマン

最近、朝が涼しくなってきた。
夏も終わりだなあ。


もうすぐしたら50歳の大台。まだ1年以上あるが、すぐそこまで来ている。
アラフォーならぬアラウンド・フィフティである。

電車に乗ると同世代と思われるおじさん達がたくさんいる。
おじさん達のスタイルでよく見掛けるのが、腰に着けたグッズの数々だ。
定番は携帯電話を収めるホルスターだ。大抵は右利きの人が多いので、右側に着けられている。
ガンマンの如く、掛かってきた電話を颯爽と取るわけだが、ガンマンと違いこのホルスターにはマジックテープが着いているから、「ジリッ」と音がしてから、取り外すので、早撃ちガンマンのようにはいかない。

もうひとつ、最近よく見掛けるのは万歩計だ。
最近の万歩計は、高機能でしっかり歩いた歩数だとか、消費カロリーや最近の平均歩数を表示でき、USBで繋げばパソコンでも管理が出来る。
最近の健康指向のためか、私の会社では、希望者に万歩計を配ってランキング表示している。
この万歩計が左腰にぶら下がる。正確に言うと、ベルトにクリップどめされて落ちないように紐をベルトかベルトホルダーに結んでいる。

いわゆる、二丁拳銃のガンマン・スタイルである。
休日になると、これにウエスト・ポーチが加わる。


思えば、子供の頃、オモチャの拳銃や刀を腰にぶら下げて、ヒーローの真似をしたものだ。同じ様な年代の人は、皆さん覚えがあると思う。

考えると仮面ライダーも腰のベルトがポイントだったし、チャンピオン・ベルトも腰に輝く。
男らしさは腰にあるのかも知れない。
何のこっちゃ。

今日も中年ガンマン達は、家族のため、闘いの戦場に向かう。


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(=^・^=)kinop

2009年8月19日水曜日

フォロー・ミー

少し前にBSで放送していた『フォロー・ミー』という映画を録画していたのを思い出し、観賞した。
この映画は若い頃に観て以来大好きな作品だが、ビデオ化もされず、DVDにもならなかった。
一言で言うと、とてもチャーミングな作品である。

この作品は、1972年に公開されたイギリスの作品である。
監督は、『第三の男』で知られる名匠キャロル・リード。脚本は、『アマデウス』のピーター・シェーファー。音楽は007シリーズでお馴染みのジョン・バリー。
主演は、『ジョンとメリー』や『ローズマリーの赤ちゃん』、『カイロの紫のバラ』のミア・ファーロー。ミア・ファーロー演じる主人公を尾行する変な探偵にはイスラエルの俳優トポルが演じた。トポルは『屋根の上のバイオリン弾き』でも知られる俳優だ。

世の中に純愛物語は星の数ほど出回っているが、この映画ほどピュアで心温まる映画はないと思う。
不治の病で主人公が亡くなるような悲恋物でもなければ、ドラマチックな巡り逢いを描いているわけでもない。
お互いに興味を持ち、楽しい恋愛期間を経て結婚した二人が、結婚したことでお互いを見失い、もう一度昔のような心の触れ合いを取り戻したいと願うお話だ。
それだけだと、何だか良さが分からないと思うが、映画全体の作り方がゆったりしていて、観ていると自分が微笑んでいるのに気付くはずだ。
上手く言えないが、そんな優しい気持ちになれる映画なのだ。

時代は1970年代前半。若者は新しい世界を求めて放浪するヒッピーが多くいた頃。ミア・ファーロー演じる主人公ベリンダもそんな自由な女性。インドを旅したり、友人の料理店を手伝ったり、自分のペースで生きていた。
公認会計士のチャールズは裕福な家庭で育った上流階級の紳士。
ベリンダは、チャールズの博識でウィットに富んだ会話や彼の思慮深い人柄を好きになり、チャールズもベリンダの自由でピュアな人間性と可愛い笑顔が好きになり、育った環境は違うがデートを重ね恋愛の末に結ばれる。
しかし、結婚生活を始めたら、以前はあんなに楽しかったのに、何をしてもパートナーの存在を感じ幸せだったのに、何故かチャールズの生活に馴染めない孤独感が顔を覗かせ出す。結婚したらどうして変わってしまうのか。好きなのに通じ合えなくなった男女。誰にでも起こるかも知れないお話だ。

映画では、心が触れ合うというのはこういうことじゃないかな、という感じで不思議な探偵クリストフォールを通して、そっと語りかけてくれる。
白いコートに白い帽子。浅黒い顔に口髭をはやし、人懐っこい顔をしたギリシャ人の探偵。ポケットにはいつもマカロンが入っていて、彼が持ち歩く白いカバンの中にも食べ物がいっぱい。探偵には似つかわしくない風貌。
彼は、チャールズの依頼でベリンダの素行調査を頼まれた探偵が大怪我をしたため雇われたピンチヒッターの探偵だった。
クリストフォールは、ベリンダの後を付けて、カフェや映画館を付いて周るのだが、元々探偵でもない彼の行動にベリンダが気付く。
いわゆるストーカーのような行為なのだが、クリストフォールの人柄がベリンダに伝わり、彼に恐怖を感じることもなく、ただ付いてくる彼を避けることもなくロンドンの街を歩き回った。
一定の距離を保ち、一切言葉を交わさない二人の不思議なデートが始まった。
最初の内は、ただ彼女の後を付いていたクリストフォールだったが、彼女に観せたいものを見つけたら彼が彼女の前に行ってリードするようになる。
ロンドンの下町にあるベーコン通りや鹿肉横丁といった変な名前の街を歩き、カフェに入ってピサの斜塔という名前の大きなパフェを食べ、博物館や美術館で絵画や彫刻を観賞し、公園の迷路を走り回りランチを取る。もちろん会話を交わすことはなく、顔の表情と身振りだけで気持ちを伝え合う。
クリストフォールがベリンダの前に立ってリードする時、彼はスクーターのミラーを手に持ち、後ろを歩くベリンダの顔を覗きながら歩くシーンが微笑ましかった。

ベリンダは浮気をしている訳ではなく、チャールズと心が通じ合えなくなった寂しさを紛らわすために街を彷徨っていただけであった。

ただただ、会話もなく二人が歩き回る光景を観ていると、観ている自分の顔が綻んでいることに気付く。

心の声を聞くことに言葉は要らない。ただ見つめ合って、相手のありのままの存在を感じることが大事なんだと映画はそっと語りかけてくれる。

ジョン・バリーの音楽がまた良くて、優しく心に触れる曲なのだ。
この映画については、最後まで見終わっても、時間がたつとまた観たくなる作品であり、人に薦めたくなる作品である。
だからという訳ではないが、結末を明かしてもこの作品の場合は良いように思う。

ここからは少し深読みだが、クリストフォールは二人の仲を心配した神様が送った天使がキューピッドという設定があったんじゃないかということだ。
まず見た目は全て白ずくめ、スクーターに至るまで白で徹底している。
調査をする予定だった探偵が大怪我したこともトポルの口からの説明で唐突だ。
こじつけるつもりはないが、そう思って観るとしっくりするのである。

映画の最後のシーン、テムズ川を行く船の上のベンチに腰掛けるベリンダが映される。
そして画面が切り替わると少し前の席に白い帽子をかぶったチャールズがマカロンを食べながら微笑んでいる。
ベリンダは、どうにか微笑むのを我慢している何とも言えない表情。
ジョン・バリーの曲が流れ、二人を乗せた船を俯瞰で写し出す。
エンドロール。

最後のシーンのベリンダが微笑みたいのを我慢している表情が最高だった。本当に嬉しい時はああいう顔になるんだろうなと思う良い表情だった。
先にも書いたが、最後の俯瞰の映像も高い空から見守っている存在があるように思え、やっぱりクリストフォールはキューピッドだったんじゃと思ってしまう。

色々と宣ったが、本当に良い映画だから観ていない人には絶対お勧めの映画だ。
ただ悲しいかなビデオにもDVDにもなっていないから、BSやCSの放送をこまめにチェックしてもらうしかない。
何でこんなに素敵な作品がDVD化されないんだろうか。それが謎である。


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(=^・^=)kinop

2009年8月10日月曜日

ドラキュラ

昨日から雨。
台風の影響のようだ。
夏休みをとっている人が多いのか、駅も人が少ない。
夏といえば、ヒヤ〜っとして涼を得ようと、お化け屋敷や怪談話など、ホラー・オカルトの類いが毎年取り上げられる。
お化け、幽霊、妖怪などなど様々、あの世の住人たちが活躍する訳だ。お化けにとっても掻き入れ時である。

これらモンスターの中でも一番メジャーなモンスターは、多分、吸血鬼だろう。吸血鬼でも、特にドラキュラ伯爵が有名だ。
ブラム・ストーカー原作のフィクション怪異小説を元に舞台や映画化され、ドラキュラの名前が知れ渡り、今となっては吸血鬼=ドラキュラとなっている。

吸血鬼・ドラキュラというと、誰でも特徴の大半を言えるだろう。

・顔は青白く、長身。
・黒い襟が立った長めのマントを羽織っている。
・昼間は棺桶で寝て、夜に活動する。
・吸血鬼に噛まれた人間もまた吸血鬼に変身する。
・日の光を浴びると灰になってしまう。
・ニンニク、十字架が苦手で、十字架に触れると焼けただれてしまう。
・聖水もドラキュラの弱点である。
・ドラキュラは人家には招き入れられないと入ることは出来ない。
・蝙蝠や狼に変身できる。
・流れる水を超えることは出来ない。
・白木の杭で心臓を指すと退治できる。
・ドラキュラはルーマニアのトランシルバニア地方の古城に住む、元貴族のモンスターである。
・ドラキュラの大敵は、イギリスの科学者であるバン・ヘルシング教授である。
・眼力で人を催眠状態にして操れる。

などなど、思い起こせば、たくさんの特徴が頭に浮かぶはずだ。良く練られたキャラクターだと思う。
噛まれたら感染し、治療法はないという元に戻れないという恐怖感が、ドラキュラの怖さであり、興味を持たれる要因でもある。
夜の帝王ドラキュラは、元貴族だけあって、ダンディで優雅。要するにかっこいいというのも人気の理由だ。実際に映画でも長身でスマートな人が演じることが多いはずだ。
そんなスーパーマンを無力な人間が苦労して退治する姿をハラハラしながら観るから面白いのだ。
基本的にゾンビも生ける屍であり、ドラキュラから派生したモンスターだ。元々は人間だったということが、やはり興味を持たれる理由だろう。
兎にも角にも、ホラー好きは皆大抵、ドラキュラが好きなのだ。

吸血鬼の映画はやたら多く、最近ならケイト・ベッキンセールのスタイリッシュな女バンパイアが登場するアンダーワールドや黒人俳優のウェズリー・スナイプスのブレイドが有名だろう。少し前には、ホモセクシャルな香りのする映画インタビュー・ウィズ・バンパイアでトム・クルーズとブラッド・ピットが共演した。
シチュエーションは様々だが、皆、先に上げたドラキュラの特徴をベースにしている。

と、様々な吸血鬼の映画はあふれているが、やはり定番であり、ドラキュラのイメージを定着させたのはクリストファー・リーだろう。アメリカ人ならベラ・ルゴシというかも知れないが、私はクリストファー・リー以外は考えられない。
長身で品があり、闇の恐怖を感じるリーの風貌はまさしくドラキュラに相応しい。このドラキュラと対峙する宿敵バン・ヘルシング教授といえば、やはりピーター・カッシング。
二人とも英国の俳優だ。

クリストファー・リーとピーター・カッシングは、低予算B級ホラーを制作していたハマープロでドラキュラを始めとした作品に出演していた。映画はB級、少ない予算でありながら、二人の高いレベルの演技で、最高の作品作りに取組んでいた。
カッシングもリーも舞台俳優であり、かのローレンス・オリビエ卿とハムレットの舞台に立ったことがある。カッシングにいたっては、オリビエ自身から認められていたそうだ。
カッシングは誰からも尊敬される温厚な紳士だったと聞く。
リーも知的な人物で、フランス語やドイツ語など数か国語を話し、演技が出来た。
この二人、映画の中では、ドラキュラとバン・ヘルシングと宿敵同士だったが、プライベートでは、親友同士だったらしい。

カッシングは晩年にスターウォーズの帝国軍の冷徹な司令官として登場し、リーもジェダイマスターとして登場した。同作品の共演はなかったが、二人が出演したと思うと感慨深いものがある。
カッシングは亡くなったが、リーはまだ健在でロード・オブ・ザ・リングなどで活躍している。

やはり、ドラキュラ映画はこの二人かな。

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(=^・^=)kinop

2009年8月5日水曜日

テキサスの五人の仲間


今朝は早く目が覚めた。
すっきり目が覚めたから、寝直すのも何なんで、起きることにした。
いつもよりも30分程度早くベッドを出た。

昨夜は、『テキサスの五人の仲間』という映画を観た。1966年のアメリカ映画だ。
主演は、今は亡きポール・ニューマンの奥さんであるジョアン・ウッドワード。共演が豪華で、ヘンリー・フォンダ、ロッキーのトレーナーのミッキー役でお馴染みのバージェス・メレディス、ジェースン・ロバーズ、チャールズ・ビックフォード、ポール・ワードなどが顔を揃えている。
この映画は西部劇であるが、拳銃で撃ち合うこともなければ、牛を追うカウボーイの姿もない。

西部のある町で、年に1回有名なギャンブラーが大金を賭けたポーカーをするために集まる。
映画の冒頭、葬儀屋のチャールズ・ビックフォードが馬車を走らせギャンブラー達を拾っていく。裁判中の弁護士、結婚式の真っ最中の花嫁の父など、何をしていようが、年に1回のポーカーのために皆馬車に乗っていく。
町では、ギャンブラー達を待つ人達が酒場に集まり、今や遅しと待ち構えている。
画して、五人のギャンブラー達が集まり、ポーカーが始まった。
そこに旅の途中の一家が通り掛かる。この夫妻がジョアン・ウッドワードとヘンリー・フォンダである。
一家は馬車の車輪を修理するために立ち寄っただけだが、ヘンリー・フォンダは大のポーカー好きで偶然であったポーカーの話を聞き、いても立ってもいられなくなってしまう。
不安がる妻に観るだけだと説得し、ポーカーを見学することになる。
ジョアン・ウッドワードは息子に見張りを頼み、馬車の修理に出掛けるのだが、フォンダは観ているだけで我慢できなくなり、ポーカーに参加してしまう。
最初は、農場を始めるために貯めた4000ドルから1000ドルを手をつけ、あっという間にすってしまい、とうとう残りの3000ドルにも手をつけてしまう。
ウッドワードが戻った頃には、ポーカーで残り500ドルをベット出来ずに困り果てているフォンダの姿を目にする。
フォンダは、ポーカーのショックで心臓発作を起こし、倒れてしまう。
フォンダの代わりに妻のウッドワードがゲームを続けなければ一家は破産する運命。
さあ、どうなるのか。
これ以上は映画を観てのお楽しみ。




詳しくは何も言えないが、この手の映画なら『スティング』より面白いと思う。
よく練られた脚本が秀逸で、最初のシーンも最後に生きてくる演出もにくい。
それにジョアン・ウッドワードがすごく美しく、西部の男達の中で光っていた。
原題は『A Big Hand for the Little Lady』で訳すると「可愛い婦人の大きな手」といったところだろうか。
『テキサスの五人の中間』という邦題もよく出来たタイトルで、見終わった後になるほどと思うはずだ。

悲しいかな、この映画はDVD化されていないし、ビデオも大分前に廃盤になっている。
CSで放送されたこともあるみたいなので、運が良ければ観れるかもしれない。
もしも、このタイトルを見掛けたら、是非観てほしい作品だ。

それにしても、良くできた娯楽作品なのに知名度の低さはどうしてだろうか。
DVD化してほしい作品の1つだ。(字幕なしのインポート版は、amazonで入手できるけど)

こういう映画を観たら、水野晴朗さんを思い出すなあ。