2010年2月25日木曜日

オードリー・ヘプバーン



「麗しのサブリナ」、「昼下がりの情事」でオードリー・ヘプバーンを起用したビリー・ワイルダー監督は、「胸の膨らんだ魅力を過去のものにするだろう。」と語ったそうだ。妖精と呼ぶにふさわしい魅力に満ちた女優だった。「ローマの休日」の可愛い王女、「おしゃれ泥棒」のキュートなお嬢さん、「暗くなるまでまって」の盲目の女性など、どの映画でも彼女の魅力にあふれていた。大好きな女優さんだ。
1993年に亡くなったから、かれこれもうすぐ13年になる。最後の作品は、スピルバーグ監督のオールウェイズの天使役だったというのも彼女らしい女優人生の締めくくりだ。

本名はAndrey Kathleen Ruston。ベルギー・ブリュッセル、貿易商の父とオランダ貴族出身の母の下に生まれた。5歳の時に戦争のためイギリスへ渡り、6歳でロンドン郊外の寄宿学校に入学。10歳の時、第2次大戦が勃発、両親が離婚したこともあり、母と共に母の故国オランダに移住しバレエのレッスンを始めた。戦火の中、モデルなどをして生計を立て、終戦後の48年、単身ロンドンに渡りマリー・ランバート・バレエ学校に入学。プロとして舞台デビューを果たす。50年に端役として映画に出演。以降、数本の作品に出演した後、51年、撮影中に『ジジ』の原作者であるコレット女史と出会い、同作のブロードウェイ公演で主役に抜擢。その舞台を見たウィリアム・ワイラーはこの公演が終わるのを待ってまで、53年「ローマの休日」の主役の座に抜擢した。作品の大ヒットと共にアカデミー主演女優賞を受賞した。以後はスター街道を突き進み「麗しのサブリナ」、「尼僧物語」、「ティファニーで朝食を」、「暗くなるまで待って」でアカデミー主演女優賞にノミネートされた。俳優メル・ファーラーとの間にショーンをもうけた後、68年に離婚。翌年精神科医と結婚するも一児を残してこちらも離婚に至っている。

また、ファッションでもサブリナパンツを流行させたり、「パリの恋人」以降は、公私にわたってジバンシーの衣装を身に着けてきたのは有名な話だ。

晩年はユニセフに親善大使として参加。ソマリアで難民救済に力を注いでいた。ヘップバーンは、第二次世界大戦当時、貧しい生活を強いられ、チューリップの球根を食べて飢えをしのいだというほど、当時ろくにものを食べられなかったことが、ヘップバーンの華奢な体を作ったともいわれている。「飢え」にはその後、ユニセフの親善大使として、貧困に苦しむ世界の子どもの援助活動をすることに繋がったそうだ。

彼女の出演作品は意外と少ないが、出演した作品は誰もが知っている宝石のような作品ばかりだ。

初恋 (1951)
オードリー・ヘップバーンのモンテカルロへ行こう (1951) <未公開>
ローマの休日 (1953)
麗しのサブリナ (1954)
戦争と平和 (1956)
昼下りの情事 (1957)
パリの恋人 (1957)
許されざる者 (1959)
緑の館 (1959)
尼僧物語 (1959)
ティファニーで朝食を (1961)
噂の二人 (1961)
パリで一緒に (1963)
シャレード (1963)
マイ・フェア・レディ (1964)
おしゃれ泥棒 (1966)
暗くなるまで待って (1967)
いつも2人で (1967)
ロビンとマリアン (1976)
華麗なる相続人 (1979)
ニューヨークの恋人たち (1981) <未>
おしゃれ泥棒2 (1986) <TV>
オールウェイズ (1989)

ヘップバーンは、93年直腸ガンのため、63歳でこの世を去り本当の天使になったが、今もこれからもスクリーンの中の彼女は永遠に妖精の微笑みを浮かび続けてくれる。
あー、やっぱりいいなぁオードリー・ヘップバーン。

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